ソーシャルな僕らがインターネットを少しでも快適に過ごすために出来る事
言わずもがな、今のインターネット事情はソーシャルが全盛を迎えているわけで、twitterしかり、Facebookしかりmixiしかり、その他たくさんのSNSしかり、ネットゲームしかりと何らかの形で参加している人も多い事だろうと思う。
かくいう僕もmixiはやめてしまったけれども、twitterとFacebookは細々(?)と続けているわけだが、やっぱり数日に一回くらいのペースでなんらかのもめ事であったり炎上案件であったり、なにかしら香ばしい匂い漂わせるイベントにも遭遇してしまう。
傍目から見る分にはセーフティなわけだけれども、いざ自分が当事者となってしまった場合は結構悲惨なもので、考えてみれば「なんでこの程度の事で」って思えるようなことでも、冷静さを欠いてしまうと心に巨大な負担を負ってしまうこともあるものだ。
出来れば傍観者であり続けたいけど、ね。
と言うわけで、今回は自分がそう言った案件に巻き込まれないために、少しでも日々のインターネットが快適になるために、何が出来るんだろうってことを考えてみた。
当たり前のことから、案外意識の外にありそうなものまで。
ちなみにインターネットを良くしたいだとか全く考えてないので悪しからずってことで。
目次
極端な攻撃性を人に見せない
生きてりゃ色々あるもんで、ちょっとした日常のイライラから始まって、ネット上で見つけた納得のいかない話まで、実に様々な不満ってやつは誰にだってあるものだ。
でも社会に生きている一人の人間として、公の場でそうそう簡単に漏らせるものでもないし、それを話して楽しく聞いてくれる人も多いわけではない。
しかし、ネット上。特にソーシャル上だと聞いてくれる人って結構いるもので、時に慰めてくれたり励ましてくれたり。理解してくれることもあるだろう。
それ自体が悪い事とは思わないし、自分の中に溜まった鬱憤を吐き出す場所はあって良いと思ってる派。
しかし、そこに攻撃性が伴ってしまうと、途端に炎上案件になりやすいから難しい。
そりゃ僕だって意外にも(!?)飄々としているように思われてるところある方なんだけど、割と言いたい事はたくさんあるし、時に文句みたいな感じで一発かましてやりたいって思う事もあるんだけれども、それを言っちゃえば楽になれるかって言えば決してそうではないだろう。
攻撃の先には人がいて、その人にも友達がいて、理解者がいて、共感者がいる。
自分の負の感情ひとつ誰かに矛先を向ければ、その攻撃はきっと一人では済まされない。
そこから一気に面倒な事になるって想像するだけでもなんかもうね。
不平不満愚痴を持つのは決して悪い事じゃない。
でもそれで以て何かを攻撃するのはやめておいた方が良いと思う。
対人として知りうる知識は参加しているソーシャルの中ひとつで完結する事
例えば結構多いのは、オフ会で知り合った人のオフ会でしか知り得なかった情報をうっかりソーシャル上で口走ってしまってから始まる面倒ごととか、別のソーシャルをまたいで違うソーシャルで当人の情報を公開して起こる面倒ごととか。
これは受け取る人の裁量や公開範囲、各種連携しているソーシャルメディアによって違うのだけれども、原則として「ひとつのソーシャルに対し、情報の公開範囲はそのソーシャルで知り得た事のみ」にしておいた方が良いと思う。
つまり、本人の許可がないのなら、Facebookで知り得た情報はtwitterで話題にはしない方が良いよってこと。
オフ会で知り得た情報はネット上では本人の許可がない限り公開しない方が良いよってことだ。
共通の友人が各種ソーシャルにいる場合だとその境界線も揺らぎやすいものの、ソーシャル同士で連携されていないのであれば、twitterで公開する理由、Facebookで公開する理由、mixiで公開する理由など、その人にとって考えて選んだ内容がそれぞれ反映されているはずで、必ずしもその境界線を越えていいものとは限らない。
そこで知り得た情報はそこに置いておく。
利用しているソーシャルで公開された情報に対して、オフ会などで知り得た情報に対して、それを別の場所で公開するのは、当人の許可がない限りルール違反である可能性も考えておきたい。
割とここら辺僕は意識してるところがあって、twitterでは、twitterのタイムライン上で知り得たこと以外は絶対に話題にしないとか、人と会った場合も、その後ネット上で本人のプライベートに干渉するようなことは極力しないようにしている。
一部例外を除いてオープンな人の場合は遠慮無しなところはあるんだけど、原則としては利用しているサービスから外に出すことはまずない。
(なんにしてもネット上で核心的なことはまず書かないので、僕自身のことで誰かがFbのことをtwitterに出すのは概ねOKとしてる)
写真の掲載許可は必ず取る。見知らぬ第三者が写っている場合は配慮する
最近では簡単に写真をアップ出来る環境になっているため、その場で撮影したものをサラっと公開することもできるんだけど、特に人が写ってる場合は注意したいところだ。
例え仲のいい人同士であっても、自分の知らないところでインターネット上に顔写真を晒されるのは気分のいいものではないだろうし、例えすでに顔を公開している人であっても、無許可でアップするのはマナー違反じゃないかなーと。
例えOKの人であっても、必ず一報は入れておくべきだし、その際にNGがないかどうかの確認も併せてしておきたいものだ(モデルさんなんかはブランドイメージってのがあるので)
また、道行く先の通行人の顔が写ってるとかも、出来れば後加工で消しておく。車のナンバープレートがはっきりと見えるようであればぼかしを入れておくなど、最大限配慮はしておいた方が良いと思う。
炎上案件や議論にはノーコメントを貫く
これが結構難しい。
自分の中で納得いかないことやもやもやすることってやっぱり吐き出してしまいたくて、明らかになんか違うってなった場合、割と簡単にそれを言葉にしてしまうことがあるって人も多いんじゃないかと思う。
僕も割とこれで失敗してる方だとは思うので反省しきりなわけだけれども。
人には人の持論があって理由があって正義がある。
それは悪いことではないけど、時としてその気はなくても人に対しての攻撃になっちゃうこともさもありなん。
結局その攻撃は一人で済むわけではなくなってしまい、おかしな議論に巻き込まれて面倒なことにって言うパターン。
常に正しい議論の中で正当に意見としてまかり通ることが確約しているのであれば有意義にはなるが、人の数だけ正解があるものってのはあんまり首を突っ込まない方が安全と思う。
どうしても言いたいことがあれば、ブログなり、はてな匿名ダイアリーなどで考えをまとめてサラっと書いてすっきりさせるって方法もありだしね。
正直に書けば、「面倒そうだなぁ」ってものには手を出さないのがベターってことで。
過剰な尊敬も時に攻撃の刃になることを忘れないで
有名な人とか、人気者とか、まー探せば多くの人が知ってるいわゆる「アルファブロガー」であったり「アルファツイッタラー」であったりする人がいるわけだ(もう死語かしらね!?)
やっぱり彼は声の大きな人(一定の影響力がある人)なので、その人の言い分に耳を傾けたくなったり、その人が言ってるから正しいことなんだって思っちゃう気持ちも分からないでもない。
でも、その名声が本人の望んだものじゃない場合もあることも考慮の中に入れられないかなと思うことがあったりする。
何でもかんでも持ち上げられるって結構しんどいもので、この人が言うから正しい。彼の言い分は常に的を射てるなんて毎回拍手喝采なんぞされれば、それはそれでストレスになるもので、本当は対等でありたいのに、過剰な尊敬から身動きが取れなくなってしまったって人も見たことがあって、嗚呼、あんまり人の支持を得すぎるのも考えものかもなあなんて思ってみたり。
あこがれの人がいて、目標とするのは良いんだけど、それを相手に押し付けちゃうのは自分の卑屈を晒しているのと同義なところもある。
結局それが自分の心を締め付けちゃうこともあって(特にtwitterなんかで声かけてみたが無視されたりとかすると)、なんか楽しくないなーみたいな。
「まーこんなすごい人もいるもんだね」程度に納めておくのが心の平和のためにはいいんじゃないかなと。
刺激はないけど快適でありたいあなたのために
あくまで穏便にインターネットを楽しむための提案なので、刺激を求めて攻撃的に行くぜ! って人には物足りない話だとは思うんだけど、僕みたいなノミの心臓でブログ一記事書くにもそれなりにビビってる人からすれば、出来るだけ常に安全圏に居たいって気持ちは理解してもらえるんじゃないかなーと。
インターネットと言っても関わるのは人と人であるってのはおなじみの答えではあるんだけど、それをもう一歩踏み込んで考えるとするなら、僕らがデジタルで見てるその人はどれだけ有名な人であったとしても、どこまで行ってもただの人でしかないわけで、天才秀才凡人の差はあれど、どこまでも人であることは覆しようもないわけだ。
攻撃的な気持ちになることもあれば落ち込むこともあって、人生の都合でいろんな感情の波に自分を奪われたりとか。そんなこんななドラマが日常にあって、時々それを共有したりしてインターネットを楽しんでいる。
なら僕らに出来ることは、デジタルのその先にいる人に「敬意」を持つこと。対等であること、対等になることを意識することじゃないかなぁ。
コミュニケーションの上でいろんな齟齬があるのはもう仕方のないことだし、この人は大丈夫でもあの人はダメって言う心の境界線もバラバラなもんだから、どうにもこうにも人間関係は難しい。
でも、忘れちゃいけないのは仲の良い人は昨日今日いきなり仲良くなったわけじゃなくて、恐る恐る手探りの中その人の心の境界線に近づき、時にありがとうとごめんなさいを繰り返して今に至るわけだ。
いろんなことを話せるようになったいわゆる「砕けた仲」ってやつでも、砕いちゃいけないものはあるし、尊重すべきものは尊重すべきであって、何でもかんでも許されるわけではない。
親しき仲にも礼儀ありなんて素敵な言葉もあるんだしね。
結局炎上や面倒ごとなんて、大半は人と人の小競り合いから生まれるもので、所詮ネット上と言ってもされどネット上と言う矛盾した状態を常に抱えながら、今日もいろんな議論が巻き起こってたり、ちょっとした小競り合い、時に大炎上にまで発展するような大事なんかもどこかにあるわけだけれども、自分を防衛する事、人を尊重する事はどういう事なのか分かる事が出来れば、割と快適なインターネットライフを送れるんじゃないかなと思ってみたりしているのだ。
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