「良いコンテンツ」は「選ぶこと」だと思っちゃったりしてる

2014年01月06日(月)【
LINEで送る
Pocket

0106top

さて、「良いコンテンツ」ってやつだ。

最近のWebの主流はユーザーが認める、シェア(拡散)したくなるコンテンツこそ良質なものであるってSEO的なトレンドでもそう言ってるし、概ね間違ってはいないんだろう。

とは言えども、制作者側としてどうやって追求するのかってなると結構厄介な話で、何の情報も無く有益なものは作れないし、実体験だけでは足りないものもあるし、クライアントから出してもらえる資料や原稿だけではどうにもならないこともあれば、自分のキャパシティってやつにも限界がある。

そもそも、何を以て良質と捉えるかなんてそれこそ理由は星の数ほどあって、いちいち一個ずつ汲み取るなんて出来やしない。

そんな無茶ぶりな印象もあったりする昨今のWeb事情なんだけれども、今回は僕が思う一つの考え方ってやつでもどうかなと。

SPONSORED LINK


まずはほとんどの人が考える良いコンテンツの定義を考えてみる

始めに簡単な所から。

良いコンテンツってのは、箇条書きにしてみると

  • 多数のユーザーを抱えている
  • 一定量以上のボリュームがある
  • ユーザーのニーズに応えている
  • 必要な情報が出揃っている
  • なおかつその情報は研ぎすまされている
  • サイト動線がはっきりしており、ページ遷移が容易い

辺りはほぼ確実ではないかと。

概ね間違っていないと思うし、前提条件として満たしているかどうかで全体の質も問われるわけで、最低限ここは抑えておきたい所だろう。

一歩踏み込んで、じゃぁどうやってガイドを引くのさ? と

上記の条件を順番にクリアして行くだけでOKと言うならば、世の中のコンテンツ制作者は苦労などしていないだろう。

やはり難しさはその先にあるわけで、上記をクリアするためのハードルってのは思いのほか高い。
問題点について、上記を踏まえてこれまた箇条書きにしてみると

  • コンテンツボリュームは文字数が多く、画像を多用しているだけで良いのか?
  • そもそもニーズはどこから調べるのか?
  • 必要な情報は本当にこれで足りているのか?
  • 情報の精度はどの程度まで研がなければならないのか?
  • ユーザービリティと言っても多種多様だよ?

と言ったように、良いコンテンツの定義は分かる。うん。でも、それを作るために何を求めれば良いのか? ってなると話は変わってくるもので、さらに難しいことに、万人にとってニーズに応えきるなんてことは到底出来やしない。

例えどれだけ良質なコンテンツと言われても、興味の無い分野の情報を見た所でそれが良質であるかどうかなんてわかんないし、そもそも求めているものでないのなら、それはその人にとって良質でもなんでもないって話だ。

そう考えてみると、良いコンテンツなんてものは閲覧者当人が決めることで、それは制作側では手に負えないような問題でもあるような気がする。

結局の所、必要な条件を満たした所で良質であるか否かを判断するのはユーザーの裁量でしかないってことになりかねないからだ。

ましてや、制作側が良質なコンテンツと認めても、それを誰かに強制することなんて出来るわけが無い。

そう考えるとしんどいよなーって。大手SNSでもサービスの方向転換とかですっげーパッシング食らったりしてるんだけど、何が原因だったのかって言う本質とか怖くて怖くて。

じゃぁ、良いコンテンツってのは夢物語なのか?

ここからが本題なんだけれども、これはNOであると断言はしたい。

もしも良いコンテンツってやつに制作側の視点として迷いがあるのなら、そこにはいくつかの悩みがあって、そのすべてを解決しきれないことに対するジレンマとかが関わってくるんじゃないだろうか。

上記の通り、全てのユーザーに対して満足を得ることは物理的に不可能だ。絶対無理。出来ない。

ユーザーにはユーザーの考え方があって、探しているものがあって、選んでいるものがある。
その全てのニーズを満たすことなんて到底なし得ることの出来ない話な訳で、それなら制作者として、僕らは選ぶことを理解しなければならない。

コンテンツ制作者として出来ること

全てのニーズに応えきることが出来ないのだから、制作側は常に何かを選び続けなければならない。

時にユーザーの多数決になることもあるかもしれないし、少数の大事にしたいユーザーの声がきっかけになるかもしれない。

時に一部のユーザーを切り捨てなければならないこともあるだろうし、不必要なものであればそれを捨て去る勇気が必要となることもある。

ユーザーの声は大切。でも全てを汲み取れないこともあって、じゃぁどのユーザーの声を聞けば良いのかってなるから話はもっとややこしい。

制作側として何かを選び、何かを切り捨てた結果として没落して行った大手サービスも数多くあるわけで、その選択は常に恐怖にさらされてしまうことだってある。

選ぶことと捨てることはいつもワンセットなわけだから、その部分でジレンマに潰されてしまうケースってのは思いのほか多いんじゃないだろうか。

でも大切なのは、「制作側が」選ぶこと

Web上で統計を取る方法は幾らでもあって、アクセス解析だったり、TwitterやFacebookからのユーザーの声だったりするんだけど、自分が目指しているものはなんなのか。

どう言ったコンテンツを目指しているのかって言う自分の中の定義に加え、ユーザーの意見を汲み取り、どの方向に舵を切るのか。
何度も現れる数多くの選択肢を選び続け、その先に良いコンテンツってのがあると思うわけだ。

ユーザーの声を聞き取り、時に断腸の思いで切り捨てなきゃならない意見があって、大多数の意見に併合できることもあれば、コンテンツ思想の中から少数の意見を優先的に汲み取らなきゃならないこともある。

でも、いつだって良質なものはユーザーとの二人三脚の結果だとしても、最後に選ぶのは制作側でありたいとは思う。

ユーザーの声を知り、制作側の思想によって作られ、そして人がついてくる。
多分これが本当に「良いコンテンツ」ってやつじゃないのかなーとかぼんやりと思ってみたりもしているのだ。

個人的にユーザー数って言うのはあんまり重要視していないんだけれども、質的には1000人中10人が認めるものよりも、100人中10人が認める何かを目指したいし、それを続けることでどんなことにも耐えられる強いものが作られていくんじゃないかなーと。

そこら辺まで考えてみたら、必ずしも大衆併合である必要は無いと思うし、大きなサービスを展開するにしても、確実な収益化を目指すなら確実に支持ユーザーを増やさなきゃなんないわけで、PV数=成功ではなく、支持者数=成功って考える方が分かりやすい気がする。

膨大なユーザーを抱えることが正義って考え方の人もいると思うんだけど、本質的な部分ってのはユーザーに認められる必要があるわけだから、結局の所ユーザーのニーズと制作側の選択のバランスってのは大切で、そこを意識してみると、少しくらいは前に進めるような気がしている。

大体そんな感じ。

SPONSORED LINK


LINEで送る
Pocket

最後までここにいてくれてありがとう

よろしければ四畳半ワークスのRSS購読、SNS参加もどうぞ!

RSSリーダーに登録する

twitterでフォローする

Facebookページを見る

ネットショップニュースなう!
こんなブログもやってます。

1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です