その知識の結果は今、手元にありますか?

2012年06月12日(火)【
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言わずもがな、DTPにしてもWEBにしても、常に共にあるのが「残業」の2文字だったりする。
定時上がりとか割と奇跡な部類で、仕事が少なくなりがちな月曜日や、週末を除けば、日付が変更してからおうちに帰るとかの方が圧倒的ヴィクトリーなわけで、俗に言う「アフター5」とか、何それ美味しいの? みたいな。

若いうちはまだいいんだけど、コレが30代後半、40代、50代になっても続いていくと言うことを考えると、すでにもう心が折れてくるわけで、できることなら楽はしたいし、常に定時に上がりたい。早く仕事を終わらせてしまいたいと言うのはほとんどの方が持っている気持ちだと思う。

意識が高いというか、自分を高めると言う行為は全て経済に繋がると思っているところがあって、費用的、時間的、知識的な投資を自分に対して行うことによって飯の種を作ると言うか。

要するに、がっぽりお金があって、大量に時間があるなら、ほとんどの人はぬるま湯に浸かった時間に、ただただ揺られていたいと思うものじゃないだろうか。

と言う訳で、今回は自己投資的な何がしのお話

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その知識、何のためのもの?

ネットを見れば様々な情報が流れていて、例えば、より業務の効率を上げるTIPSもあれば、最新のツールの紹介、技術的な情報、HOW TOなど、探してみればきりがないほどの膨大な何がしが手に入るし、それを紹介しあう、共有すると言うやり取りはよく見かけるのだけれども、それを本当に役立たせることができるのって全体のどれくらいなのかなーって思うこともあったりする。

もちろん共有することは大切なことだし、情報の交換って言うのも重要なものであることはわかっていて、それに加えて、是非みんなに紹介したいこととかもたくさんあることはちゃんと理解しているつもりだ。

でも、怖いのはその知識や情報に振り回されてしまい、「トレンドに合わせなければならない」って感じに追い詰められてしまいやしないかって不安になってしまうことがある。

前述の通り、若いうちはそういうことって本当に大切で、将来の自分に対して蓄えておくべきものって言うことも重々承知しているのだけれども、生涯現場主義であるならともかく、気力、体力共に無理が利かなくなっていくこの先において、いかに習得したものを上手に消費できるかと言うことは計算に入ってるのかなー? とか思ってみたり。

付加価値を見出せるか否か

特にWEB系の仕事をしていると強く思うのだけれども、そもそもWEBと言うのは媒体の一つでありながら、手元に形として残るものではない。

常に最先端の情報を知識として、技術として蓄えておく必要があるもので、要するに「消費の早いメディア」の一つなんだけれども、そのメディアに対して自分はどう向き合っているのかって言うのは現場としては強く感じなきゃならないことだとも思う。

こう言う風に考えるきっかけになったのは、昔お付き合いのあったWEB会社の方で、
「自社受けのWEBサイトは作っているものの、自分の個人のWEBサイトを完成させたことがない」
と言うことを聞いてから。

仕事としてって言う割り切りがあって、さらに会社勤めならそういう考えもありだなーとは思うけれども、せっかく得た知識や技術を会社やクライアントのためだけに消費し、自分のための投資が出来ないってなると話が変わってくるわけで、何で技術や知識を十分に持っていながら、それを自分のために使うってことも視野に入れないのかなーって思っちゃう。
多分、これは個人でやってる特有の見方なのかもしれないけれども。

結局、得た知識や技術、総合的な能力って言うのは日常生活ではほとんど出番がないわけで、結局どこで使うかとなると、仕事である場合がほとんど。
と言うことは、そう言った能力は全てマネタイズしてしかるべきなわけで(なんか自分お金の話ばかりしてるよなぁ・・・)、吸収したものを投資として捉え、いかに還元できるか、付加価値をつけていくかって言う部分まで踏み込めなければ、せっかく得たものの意味が薄くなってしまう気がするのだ。

技術の進歩って言うのは本当に早い。
今日覚えたことが来年の今頃には古くてもう使えないものになってしまっている可能性も高く、これまでの知識が土台としてしっかりと残れば良いけど、新しいものに追って追われて気がつけば消費だけが加速し、手元には何も残っていないなんてことになると目も当てられない。

そう言った習得したものの消費の形を手元に残す方法って割と限られていて、今日覚えたことは来年の今頃、手元に結果として残っているかどうか。
そう言う意識があるかどうかって言うのはしっかりと考えたい。

ディレクション能力を早いうちから養いたい

僕の場合は身体一つでこなさなければならないことが多くなってしまっているため、いかに分散するかとか、いい加減人を使うかとか考えたりもしてるのだけれども、現状の労働量で10年後、20年後を想像するとかなり重度の眩暈もやってくるもので、できるだけ早い段階。ありていに言えばあと5年くらいでこの状態を脱却し、労働量を減らしつつ収益を上げるみたいな形を作らなければと思って試行錯誤などを繰り返してみたりしている。

例えば人を雇うのも良いかもしれない(現状ではまず無理だけど!)。システムを作り上げ、効率の良いワークフローを完成させるのも方法の一つだろう。ネットサービスを使って有効に収益を上げると言う形もアリだ。

なんにせよ、「労働量を減らす」「収益を上げる」と言う、一見すると矛盾してしまいそうな条件をクリアしなきゃならないわけで、そのためにはディレクション能力は必須になってくるんだろうなーとは覚悟している。

今はまだ、納品のためには徹夜も厭わないし、ありとあらゆる知識を吸収するためにできることがたくさんある。
でも、この先はどうなるか分からないわけで、出来れば常々現場にいたいとは思っていても、無理の利かない身体になって行くのは、最早否定しようもない事実だ。

極端な話、最新のシステム、最新のツールと言うのは業務効率を向上させ、労働時間を減らす役割でしかないと思っているところがあって、それをかなえる事が出来ないものであれば、わざわざ使うなんてことはしない。

技術も、全て自分で出来れば、それは理想だけれども、「出来る人に任せる」と言うのも選択肢のひとつなわけで、そっちの方が効率よく回るのであれば、その方が良いだろう。

要するに労働時間を減らすと言うのは結構大事で、働くことは大切だし、精神衛生上必要なものだけど、過剰に働き続けることが美学とは思わないし、出来る限りプライベートの時間も確保したい。

そのために出来る事はたくさんあるはずで、無意味な投資なんぞやっても仕方がないとも思っている。
過剰に働きたくないから、頑張って養いたい能力がある。そんな感じ。

働きたくないでござる

ぶっちゃけた話、ぬるま湯に浸かっていたいし、ひたすら自己擁護していたいし、それでいてみんなに肯定され続けていたいわけで、穏やかな毎日をただただ続けられればそれでいいんだけど、世の中そんなに甘いものなわけでは当然なく、自分に対しての投資もあれば、別に覚えたくもないような知識を吸収せざるを得なかったり、経済的な意味でより高い位置に身を置くために日々研鑽をしなければならなかったりするわけで、やっぱり勉強ってのは生涯避けられないものなのかもしれない。

でも、その勉強って一体何のために習得してるものなのかな? ってなると、結構疑問を感じることもあって、必要、不必要を問わず、「なぜこの知識を得ようとしているのか。何に対して消費することを考えているのか」って言う意識があるのとないのとでは、全然変わってくるんじゃないかなーと。

せめて得たものは、大切だと思うものは、手元に残すための工夫を。努力を。そのために頑張れることを頑張りたい。

そんな僕は今日もお家での地位を高めるために皿洗いなどしてみたりもするのですよーっと。

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