時に名言の流用は良くないことがある

2011年05月02日(月)【
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自分で言うのもなんだが、分類をするのであれば僕は愛妻家の部類に入ると思う。
嫁様のミスを責め立てたことはないし、出てきた料理にケチをつけたことも無い。ついでに言えば、この前僕の車を駐車ミスでうっかりコスってしまったのだが、「OK牧場」と笑い飛ばした程度には愛妻家であるつもりだ。
自営業と言う心細く、将来の見えない自分と結婚まで決意した嫁様はすごい。だから僕が愛妻家であることは特別でもなんでもなく、ごく自然な成り行きと言っていいだろう。
そんな嫁様が、今年2度目の胃腸風邪によってダウン(1度目は2週間前)
よって、僕一人でこなさなきゃいけないことが増えてしまった。
正直言えば、現在仕事量は抑えてるとは言え、ゼロと言うわけではなく、本日も打ち合わせに行ってきたところだ。その上愛息の子守りもしつつ、となると、ほとんど動くことは出来ない。嫁様一人動けなくなるだけで、家というのはこんなにも不便になるのだ。
そう考えると、一刻も早く回復していただかなければならないと言う気持ちもあり、まだ嫁様が病院から帰っておらず、愛息も実家に預けていたので、僕が今出来ることはと考えた結果、せめて昼飯くらいすべて用意しておこうと言うことで、10年ぶりくらいに「おかゆ」なる物を作ってみることにした。
ご存知の通り、おかゆの決め手は米と水の分量比であるのは言うまでもないことだろう。
だが、O型おひつじ座典型的おおらかでおなじみの僕だ。いつもどおり目分量にて勝負する。
「水が足りなければ足せばいいじゃない」と言う、一番やってはいけないことを平然とやりのけた僕。本当に妻の事を愛しているのだろうか? いいや、愛してる! 愛が足りなければ継ぎ足せば良い理論によって、水もその方法は通用すると言う理屈だ。えっへん。
しかし、やはりと言うか当然と言うか、圧倒的に水分が足りないことに気がつく。水分は吸収されているにも関わらず、米が固いままなのだ。
と言うわけで、最初の水足し。
そして15分後、5度目くらいの水足しによって何とか米が柔らかくなり、製造方法さえ言わなければな「おかゆ」に見えなくもなくなった。今日本において最も頼りないおかゆの誕生である。
が、ここで戸惑いが生まれる。
果たして、このおかゆを愛する嫁に食わせていいものなのだろうか。
見た目はおかゆだが、その過程はどう見てもアレであり、観測された時点で荷物まとめて逃げ出す準備を整えたいところであるが、一応のところはおかゆである。
結果よければ全て良しと言う名文句を考えた人はその無責任さについてまで考えることはなかったのだろうか。
極端な話、製造行程さえ黙っていれば良いのだが、病床の嫁様にそんなものを食わせていいのか・・・。
あまつさえ食べ物を粗末にするなと教えられて育った彼女だ。たとえ過程がアレだとしても、食わねばならぬと言う使命感を覚えてしまうだろう。ましてや結婚2年足らずの夫の作る物だ。間違っても不味いなどと言うわけが無い。むしろ、苦虫を噛み潰したような顔をしてでも美味しいと言ってくれるに決まってる。そしてそれが僕にとって罪悪感に繋がってはしまわないだろうか。
と言うより、米と水相手に僕は一体何を悩んでいるのだろうか。
悩みに悩み、いっそなかったことにしてしまおうかと言う誘惑も生まれたが、そんなことを考えているうちに愛息を連れて嫁様が帰ってきた。
そして僕は言った。
「あ、おかゆ作ってみたけど、どう?」
(残さず食べてくれました。自分でも食べてみたが、味はおかゆそのままだった。)

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