インターネットで文章書き始めて12年以上経過して思ったこと

2012年07月27日(金)【
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無料ブログでチマチマ書いてたログを全部こっちに持ってきたんだけど、記事の総数が200超えててちょっとびっくりした。

当時のブログ記事はまぁ見るに耐えないと言うか、あくまで僕個人の「日記」だったので、今とは全然違うわけだけれども、どうもtwitterでフォロワーの方が見つけてしまったようで、どうせ調べれば分かってしまうなら、いっそ「そうです僕が書きました」って開き直った方が早いな とか。

すごい読みづらいけど、興味のある方はどうぞ。

と言う訳で、今回はこれまでずっと書き続けてきたことについての何がしなお話でも。

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12年間にわたって書き続けてきたこと

12年って言うと、当時小学校に入学した子どもが大学生になってるレベル。

masakiとして書いている記事もあれば、別のハンドルネームを使って書いていたり、仕事として書いていたものもあったりして、多分総数は詳しくは計算してないけど、確実に5000記事は行ってると思う。
その割に文章力が向上しないのは、なんていうか、触れないで欲しいわけだけれども、まー書き続けてきた。

名うてのブロガーさんや毎日更新してる方も数多くおられると思うけど、これまで書き続けてきたテキストの総数は多分、トップクラスだと自負はしてる。
だからといってすごいわけでもなんでもないけれども、塵も積もればなんとやらである。

12年間守り続けてきたルール

基本的に固有のスタンスとかを意識したことは無いんだけど、文章を書く上で「絶対に特定の誰かを攻撃しない」と言うのは守り続けてきた。

割と読む人は選びたくないところはあって、最近で言えばネタが技術者寄りになってるので、そこら辺は修正をしていきたいところなんだけど、前提として人を特定できるようなことは書かないつもりでいたりする。

好意的、否定的問わず、文章内で個人名称を出さないのはそう言う理由があったりして、友人のハンドルネームやtwitterアカウントであっても、これからも出さないと思う。
出す理由と必要性が揃わない限りは絶対に出さない。

特定の誰かを出してしまうと、それを知らない人が引いてしまうからって言うのはずっと思ってて、自分の世界だけで完結させることが望ましいって言うのは割と思っていたりしていることだ。
よって、どれだけ親しくとも、僕の文章の中から誰かの固有名称が出ることはない。
出すなら、一つの記号扱い。
例)コンビニオーナーの友人 嫁様 坊主 など

誰しもがそう言う風にしろとかそう言うのではなく、文章の整合性を取る際に(ネット上で)特定できる他者を出してしまうと結構厄介なもので、そこに気を使いながら文章を書くって言うのが僕の場合やってられないわけだ。

逆に、そう言ったことでもさらっと馴染みのある文章に持っていける人ってすごいなーって思っている。

笑いが取れないなら共感を得たい

何で文章を書き続けてるのかって理由を問われると、ちょっと答えに戸惑うんだけど、最近はともかく、これまで「有益な情報を発信したい」と思ったことがないし、発信するならmasaki名義は使わないって言うのがあって、じゃぁ何書くの? ってなると、選択肢として日記とかエッセイ風味なものになっちゃうわけだけれども、残念ながら文章力と言うか、瞬発力のようなものには恵まれなかったようで、12年経った今も人を笑わせる文章を書ける自信はそんなになかったりする。

かと言って「ネガティブなことは書かない」と公言している以上、相手の同情を誘うような文章も書けないわけで、なら出来る事は「読む人の共感を得る」ための文章が書けないかなと。

「実は自分もそうでした」
って言ってもらえるのが一番嬉しい。
役に立ったって言われるのはちょっと恥ずかしい気がするし、ことさら尊敬されることも書くことは出来ぬ。でも「あー、わかるわー」って言うのであれば、これまでの経験上フィードバックすることはできるんじゃないかなーって思いながらこんなところまで来てしまったわけだ。

多分こう言うのって、世のトレンドからかなりズレてるだろうし、今更こんなスタイルの日記が流行るとも思わないんだけど、書き続けるのも、それはそれでライフワークみたいなもんだなーって感じになっちゃってるので、このまま突っ切っちゃいそうな気はしている。

最近気づいた無意識だったこと

結構多くの人もそうだったりすると思うんだけど、僕が文章を書くとき、必ずどこかに見えない「比較」が入り混じってることに最近気がついた。

例えば笑いを狙うにしても、自分と世間のズレとか、世代差のズレとか、考え方のズレとか。
前述の「共感」と矛盾しているのだけれども、一つのネタを出すとき、必ず何かを「比較」している。何かと言われると言葉にしづらいんだけど、確実に何かと比べている。

時には明確な比較が入ってるし、場合によっては文章全体が文章内に無い何かと比較している。
それを意識するようになってから、改めて「ちゃんと読んでもらえる文章に整形しよう」って言う感覚になったような気がする。

ほら。「今」と「昔」を比較しちゃった。

でもそうやって考えると、ネタって言うのは必ず自分の感覚と別の何かが比較されてるわけで、その差異が大きいほど面白かったり、人とは違う視点に結びついてるんじゃないかなーって言う結論になっていて、その部分を意識して他の記事を読んでみたりすると、またちょっと違う発見が出来て面白い。

優劣を問わず、僕らは何かを比較しているはずなのだ。
それを形にしてるに過ぎないのでは? と言う悟りのようなもの。

とは言っても、変に難しく考えずにタラタラ書いてるけどね。

そんな感じで12年経ってました

僕がインターネットを始めたのが19歳のときだから、もう13年になるわけで、それでも10年以上の付き合いのあるネット友達とかもいたり、最近交流するようになった人もいたり、色んな変化があったりで、変わってしまったものの、そうでないものが混在しながらも、やっぱり日進月歩。常に取り巻く環境も変わり続けているわけだ。

そんな中、ずっと文章を書き続けてきたって言うのは、変わらなかった自分の証明だったりして、色んなものが変わって行ってもここだけは変わらない自分でい続ける方法の一つなのかもねーって思いながら今に至っている。
ここまで来たんだから、もうできるところまで書き続けてやろうみたいなものはあって、優れた文章とかは多分書けないだろうけど、それはそれでいいのかなーと。

なんにせよ、昔と比べればずいぶんとペースも落ちたけど、チマチマといろんなものを書き綴って行こうと思う。
これから先の数年、自分は何書いてんだろうね。多分書いてることだけは変わんないとは思ってる。

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