あなたのネタはあなたしか扱えない。文章とネタと発想のこと。

2012年11月13日(火)【
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ほぼ全てのWEB製作者・ブロガーであっても、「オリジナル記事を書く」と言うのは結構難しい物で、毎日欠かさずに更新できる人もいれば、一ヶ月の間に数回しか更新できないと言う人もいる。

毎日更新は仕事の一つ、ライフワークの一つと捉えている人もいれば、更新頻度よりも内容の充実性を図りたい人もいて、さらには毎日書くのが面倒であったり、そこまで日々ネタなんて沸いてくるものか! なんて人もいるんじゃないだろうか。

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僕も毎日更新と言うのはさすがに厳しいところがあって、ちょっと調べてみたんだけど、僕がガチになって文章を必死で書くと、その文字数は大体3000~7000文字くらい。
日数としては、クオリティを維持するために裏を取ったり、内容の校正を何度も繰り返していたりすると、最低でも1日全てを使うか、場合によっては3日。言葉が上手にまとまらないときなんかは平気で1ヶ月以上寝かしたりもするので、やっぱり毎日同等レベルの文章を書き続けるのは難しい。

例えば文字数を一気に減らし、更新頻度を保ちつつ、ある程度読み物として成立するレベルで記事を書き続けることは決して不可能ではないのだけれども、染み付いてしまったクセはなかなか抜けるものではなく、やっぱり一回記事を書こうとするたびに3000文字以上は突破してしまう。

とは言え、逆に「何でそんなにホイホイ長文になってしまうのか」みたいな所は疑問に思われることもあるわけで、ん~~、自分でそこまで意識したことが無かったから言葉にするのはすごく難しく感じられるのだけれども、ちょっと色々思い起こしてみようと考えてみた。

テーマは「文章を書く」ことと「ネタの発掘」について。

上手な文章を書く方法とか、ネタを見つける方法なんかは、調べればたくさん出てくるので、そちらに丸投げするとして、四畳半ワークス流なネタと文章のお話でも。

テクニックではなく、発想方法的な部分を重視してみますた。

毎度毎度のことですが、長いよー!

文章を書くことについて

これまでとにかく様々な文章を書くことに慣れて来た人にとっては、決して難しいことではないものの、これから記事を書くってことを始める人や、どうにも文章を書くことが苦手な人にとっては、いきなりの難問だったりするものだ。

特にブログを待ち望まれながら作らない人・なかなか更新の手が進まないって人の多くの悩みが「文章に自信が無い」ことに由来するものだったりして、やっぱり簡単とは言い難いのかもしれない。

とは言っても、文章を書くっていうのは誰でも手軽に出来る表現方法であり、敷居の高いものでは決して無いので、恐れずにまずは1記事書いてみて欲しいとも思うわけだ。

自分の文章スタイルを構築する

例えば仕事中であったり、お風呂の中だったり、就寝直前だったりに限って、自信作になりうるネタの原型のようなものはひらめいてしまうわけで、さぁメモを取って、あとで清書していこう! って言う流れは色んなところで紹介されている手法だと思うわけだけれども、いざ実際にやってみると、サクっと書きあがればいいものの、この時点においても産みの苦しみがえげつないことになったりもするって言う経験をお持ちの方もいるんじゃないだろうか。

僕なんかは典型的にそれで、これについて書こう! と思ってパソコンを前に取り組んでみるものの、自分の想像やメモの中とは全然違う方向性に言葉が走り出すことがほとんどだ。

この場合って、自分が書きたいと思うことに対して、ブログ全体の空気感だったり、形にしてみると、思っているほど自信作ではなかったって言うガックリ感に苛まれていて、結局お蔵入りしてしまうパターンに突入しやすいんじゃないかと思う。

読者が何を求めて来訪しているのかって言うのは分からないにしても、読者に読んでもらいたい内容と実際の内容の乖離を感じてしまうことは結構あるわけで、そこら辺でジレンマに陥ると言うか、あれれのれ? なんてことになりやすい。

が、逆にパソコンを前にダラダラと駄文のような物を書き並べて見ると、思わぬインスピレーションが沸き、一気に書き上げてしまうことの多さとか、もう何がなんだか分からない。

これは理詰めで文章を書き上げることが出来る人もいれば、直感的に書くほうが得手って言う人もいたりするので、何が正解かなんてものはないにせよ、自分のスタイルみたいなものはものすごく意識した方がいいような気がしている。
文章を書く以前の問題として、自分はどう言うときにインスピレーションが沸くのか、どう言う条件で想像力が発揮されるのか、最もタイピングの調子がいいのはいつか とか。
こう言う部分を自分で理解できるほど、文章は書きやすくなると思うし、自ずと自分の文章スタイルになっていくんじゃないだろうか。

文章は伝われば良い。

何度かブログでも書いているけれども、僕は基本的にここではデスマス調は使わない。

これも得手不得手の問題なんだけど、どうにも言葉が続かないのだ。
自然な流れで、話しかけるような感じで、流れるような感じで文章を構築していくところがあって、そこから自分のリズムを作り、言葉に置き換えていくような感覚。
言葉で伝えるの難しいなぁ。

ただ、思うのは「伝えること」とはなんぞや? って部分で、例えば斜に構えた文章であっても、意図が伝われば文章としての本意は達成できるわけだ。
これは極論と言えばそうなんだけど、どうしても書けないというのであれば、一度思いのたけを書き殴ってみるのも一興ではないか。
型にはまりすぎるのは良くない。 どうせなら、文法も無視して一気に書きたいと思ったことを羅列してみるとか、無茶苦茶な文法でもいいから。

どうせ誰も読まない文章なら、一度書き殴るだけ書き殴って、もしかして使えるものが見つかったとしたら、儲けもの。
今度はそれを元にイメージを膨らませ、自分流の文章スタイルに修正すればいいし、人が読むに耐えられるように言葉を直せば良い。

文章と言うのは何かと誤解を与えやすく、時に非常にデリケートな物だし、伝えようと思った言葉が全然伝わらないなんてことも普通にあるわけだけれども、こんなものはボウリングのピンみたいなもので、誰も彼もがストライクやスペアを狙って投げても、そう簡単には10本全部倒すことは出来ぬ。そう言うものだと思って、今現在の自分の信じられる言葉を紡ぐのが最も伝えやすい方法ではないか。
もちろん、誰が読んでもアウトな表現も確実にあるので、それは避けるべきだけれども。

リズムと流れを理解する

文章にもリズムとかテンポみたいなものがあって、どれだけ長文であってもサラっと読むことが出来る文章を書くことができる人もいれば、短文にも関わらず、妙に説得力に乏しいことになりがちなことに悩む人もいるわけだ。

僕もここはすごく勉強中って言うか、意識しても全然足りていないわけだが、文章の中の流れに沿って、言葉が言葉を繋いでいくような感覚を得られるようなものを書いてみたいとは常々思っている。
今のところはそれが「蛇足」って形で表現されてしまっているものの、何も文字数制限があるわけでもなし、不必要な言葉を削らなければならないなんてことは無いとも思う。

時にそう言った無駄な言葉が、別の重要な言葉を補完してくれたり、繋いでくれたりするわけで、そう言った意味で全体の流れをスムーズにするのなら、不必要でありながら、重要なピースだったりすることもあるものだ。
「この表現、必要かな?」って思ったときは、まずは恐れずにそのまま書き続けてみるといいんじゃないかと。
本当に不必要なら、最後の校正時に消せば良い。それだけのこと。

とにかく、文章の流れは色んな文章を読んでみたり、実際に自分で書いてみて、何度も読み返したりして理解していくしかない。
このリズムって言うのは書き手のセンスの問題に依存する部分もあるので、これまで読んできたテキストの数が物を言うところではないかなと。

ネタを引っ張り上げること

時に誰もが苦労する記事の「ネタ」なわけだが、これを掴まえるのって、慣れている人とそうでない人とでは圧倒的な違いがある。
ネタの探し方やイメージの膨らませ方みたいなものって結構コツみたいなものがあって、これを理解することが出来れば、割と何でも書けるようにはなるものだ。

ツッコミ所をさがしてみる

世の中に完璧なものは無いわけで、よくよく見てみると、どんなものにも意外な「ツッコミ所」みたいなものはあるもんだったりする。

僕の場合、最近子どもとアンパンマンのDVDを見ることが多くなったんだけど、毎回同じ話を見ていても新しいツッコミ所が見つかって、大人になってしまった代償とは言え、穿った楽しみ方などをしている。

例えば、アンパンマンは「自分の顔を分け与えることが出来る」「自分の顔にダメージが入ると、極端に弱くなる」「顔の交換により、全ての能力が回復する」と言う前提がある。

これをもう一歩踏み込んで見てみると、結構疑問なのが

●アンパンマンの賞味期限について
●ボディへのダメージは顔の交換で回復できるものなのか
●そう言えば、アンパンマン自身が何かを食べている姿は一切描写されていない

みたいな、些細だけれども、大人になって考えてみると、どうにも考えてしまうことが出てきたりする。
悪い大人になったもんだなーって笑い飛ばすのも良いんだけど、そう言った小さなことでも深く考えてみるって言うのは時に有効ではないだろうか。

さらに、天丼マン・カツ丼マン・釜飯どんの「どんぶりトリオ」って言うのがいるんだけど、アレだけ色んな動物が闊歩している中、動物性たんぱく質を素材としたカツ丼マンはどこでどんな恨みを買っているか分からない と言ったような、馬鹿げた想像などもしてみるものだ。

まぁ上記は全く以って下世話な話だけれども、こんな些細な違和感のようなものでも、深く意識して考えてみると、結構色んなストーリーが生まれて面白い。

何が言いたいかって、「些細なこと、どうでも良い事を深く考えてみる」と言うのは言葉を紡ぐ第一歩だと思うのだ。
考えの量が増えると言うことは、それに比例してイメージの選択肢が生まれると言うこと。その中で使えそうなものを精査していく みたいな。

なんでもいいから無理矢理関連付ける

発想って言うのは、0から生まれる芸術家肌な肌の人ももちろんいるわけだけれども、ほとんどの人は0からと言うより、いくつかの要素を重ね合せて初めて原型となる1を作り出しているはずで、やっぱりこれまでの経験とか、思っていたこと、幼い頃感じていた疑問なんかが、今になって新しい何かを生み出すことも珍しくない。

情報の整理と言うか、頭の中に引き出しを作り、綺麗に整頓しておくようなイメージ。
これは得意な人と苦手な人がいるので、ある意味トレーニングが必要となる場合もあるわけだけれども、一つの思いついたネタに対して、これまでの経験や知識を関連付けていくって言うだけでも、新しい何かが出来上がることは多い。
大切なのは、小さなことでも「記憶しておくこと」まずはここから始まるものだ。

物事と言うのは単体で存在しているわけではなく、必ずどこかに紐がついていて、何かに干渉しているはずなのだ。
糸を手繰り寄せるような感覚で、これらを掴まえてみる作業っていうのも意識してみたい。

例えば、つい先日僕は奥歯の親知らずがなんか激痛を起こしくさりまして、2日ほど眠れぬ、仕事も出来ぬ時間が続いてしまったわけだけれども、このときふと脳裏によぎったのが

嗚呼、これがもしアンパンマンだったら顔取り替えて終了なのに・・・。

みたいな。ほら、上記とくっついた。

一見すると異なる事象でも、実は相性の良い組み合わせみたいなものってあるもので、一度ネタの原型を見つけたなら、これまでの自分の何かから、それとくっつけられるものを探してみる。
これだけでも、かなり文字数は増やせるし、世界も広がりを見せるんじゃないだろうか。

嫌いなものを好きになるイメージを作ってみる

人生における一つのライフハックみたいなものっぽいんだけど、「嫌いなものをどうやって好きになるか」って言うイメージは結構面白いので、是非お勧めしたいところだ。

生理的に受け付けないとか、アレルギー的に駄目なものをわざわざ好きになる必要は無いし、どうしても相容れないものは存在しているので、自分からそこに飛び込む必要はないものの、なんとなく苦手意識のあるものに飛び込んでみるとか、どうしても好きになれないものを、どうすれば好きになれるかって言う想像を、滑稽無糖、無茶苦茶でも良いから、出せる案を全て出してみるって言うのは結構楽しい。

簡単に落とし込めるところで言えば、嫌いで嫌いで仕方の無い上司だけれども、もしも彼が「巨乳で美人」と言う条件がついたなら、自分は何を思えるか みたいな、分かりやすいところからスタートしてみてもいいし、その「嫌いだけど」巨乳で美人の上司が「今日は仕事上がりに一緒に飯でも食べに行こうか」なんてなったときは、自分はどうするだろう とか。
かっこよく退治するイメージを持ってもいいけど、「相手をやっつける」って言うのはやめた方がいいと思う。スッキリするかもしれないし、それはそれでいいのかもしれないけど、多分他の人は面白くない。

物理的・論理的にありえないほど面白いと思うので、もう本当に無茶苦茶な想像をし、「嫌いなものを好きになってみる」イメージを膨らませてみてほしいのだ。
出来れば、その持論で以って人を楽しませることを前提にしてみても良い。

自分の好みと相反するものって言うのは、その落差が大きいほど自分の中での印象って大きくなりやすいもので、それをポジティブな方向に切り替えてみると、思わぬ発想が生まれたりもするものだ。

どうしてもネタが見つからないとき。書きたいことが思い浮かばないとき、一度、「自分の嫌いなもの」を思い出してみるのはいかがか。
そしてそれを「好きになる」ための手段を考えてみるのはどうだろうか。

最後に「素直になる」と言うこと

文字書きの業とでも言うのか、妙に理屈っぽくなる自分にハッとなったりしてしまうことは結構あるわけで、持論振りまいた挙句結局何言ってるのか分からないみたいな悩みを抱えたことは無いだろうか。
で、論をこねくり回した結果、結局言葉がまとまらなくてお蔵入りって言う定番のパターン。

僕だけですかそうですか。

それはさておいて、一度頭をリフレッシュさせる意味でも、「素直になってみる」って言うのは、思いもよらない良記事に繋がったりもするから侮れない。

好きなものをは好きと断言できるのはある意味才能みたいなもので、情報過多のこの時代、自分の好きなものが好きである理由に加え、詳細すぎるディテールを求めてしまうことは結構多いようにも思える。

いざインターネット界隈やブログ界隈などを見渡してみると、論がはっきりしていて、言いたいことが明確で、それでいて伝わりやすいサイトや人の言葉であふれかえっているのを目の当たりにすると、自分の言葉はちっぽけでどうしようもないんじゃないかって思うこともゼロではないはずだ。

むしろ、後発でこれからWEBサイト運営やブログ運営に参入する人の多くはそんな悩みはあるんじゃないだろうか。

しかし、極論で言ってしまえば、好きなものだから紹介する。伝えたいことだから文字にする ただそれだけで良かったりするもので、わざわざその理由を探すのも時には野暮に映るものだ。

そりゃ、「これ好きなんで、みんな買ってよね!」みたいな論法で人の心を動かせるかって言われれば、そう言うものでもないんだけれども、好きである理由は人に伝えるに十分なこともあるわけで、わざわざそれを押し殺してディテールだけを紹介すれば良いってものでもない。

この部分はある意味において鋼の心臓が必要になるところもあるんだけど、自分が好きだと思うものは、批判を恐れずに発信することも大事なわけで、他の人が駄目なものって発信していたなら、そいつらの気持ちを覆すほどの言葉を載せれば良い。

他の言葉に併合して、本当に思ってた気持ちを隠してしまうほどの価値は、残念ながらインターネット上には存在していないのだ。

好きなものを好きと言うには勇気がいるし、時に批判を招くこともあるかもしれない。
しかし、伝えるってことは、そう言うリスクがあり、全ての人が背負っているもので、ほぼ全ての人がそれに恐れているものだ。

書きたいことを、自分流に紡ぐって決して難しいことではない。
後は自分なりの書き方だったり、ネタに対してイメージを膨らませるだけ。才能じゃないし、続ければ自然と慣れてくるもんだ。

みんなが同じようなことを言って、時には陳腐に見える言葉だけれども、「継続は力なり」とも言うわけだし、まずは書いていこう。
途中で書けなくなったら、下書きとして、誰の目にも触れないようにしまっておいて、また時が来たら書きなおしてみるでも良い。

あなたのネタはあなたにしか扱えない。
そう言う気持ちで、できれば楽しくやっていこう。

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