「努力」は裏切るかもしれないけど、「積み重ね」はあんまり裏切らないって言うお話

2013年10月29日(火)【
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努力すれば報われる、報われないって言う議論ってのは昔からあって、多分どれも合ってるし、どれもがどこか、何か違うかもしれないなーって思う最近の事情なわけだけれども、個人的に思うことなど少々。

まー適当に読み流す感じでちょうどいいんじゃないかな!

いつも通り言い訳を先に書いておくけど、あくまで個人的な私感って言うね、グダグダ〜!

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努力って報われるケースは思いの外少ない

自分の目標となる何かを成すために努力をするって言うのはそれなりに当然っちゃぁ当然のことで、努力無しに何かを成すことが出来るのかってなると、一部の天才や強運の持ち主でもない限りはほぼ不可能に近い。

努力する天才ほど完璧なものは無いとは思うのだけれども、その天才とて自分が天才であると言う自覚を持っているなんて稀だろうし、多くの場合は見えない努力の結果、天才たる資質が目覚めたとか、第三者から天才と誉め称えられるようになったとか。

それすらもかなり稀なケースなわけで、基本的に努力って言うのは目標を達成するための土俵にあがるためのプロセスであり、人それぞれで道のりが大きく変わる。

さらに、努力の方法もそれぞれなわけで、おかしな方向に努力をすると、とんでもない遠回りになっちゃうとかもよくある話だ。

もっと悲しいことに、例え最短距離を歩む努力をしても、あくまで土俵に上がるためのプロセスであって結果を導くためのプロセスではないため、自分の理想とする結果を得ることが出来るかと言われればそれもまた別の話。

努力によって結果が得られるって思っちゃうのが人の性ってなもんで、頑張った分だけ自分の中で得られるものは最良であるはずだって思っても、思った通りの結果になるって言うのは結構珍しい。

そう言う経験をした人なんてそれこそ周囲を見渡せばゴマンといるわけで、まぁ概ね意図している結果になりましたなんてほとんどならないんじゃないだろうか。

努力って何さ?

一言で努力していると言っても、大学受験勉強なんかでありがちな、高校3年夏休み辺りから急に勉強を始めたとして、志望校に受かるのかってなると、ハードルが高ければ高いほど達成難易度は跳ね上がるわけだけど、決して全員が報われているわけではない。

それよりも、高校3年の夏休みから受験シーズンまでの約半年間の頑張りを努力と言えば確かにそうかもしれないけど、その期間だけ努力したことが即結果に繋がるのかって言われればやっぱり疑問なわけで、その場限りの頑張りを努力と言っていいのかってなるとまた議論が生まれてしまう。

そこら辺は結局、常日頃から勉学に勤しんできたとか、遊んでいるように見えながらも3年間、蔭でちゃんと勉強を続けてきた人の方が強い。

努力とは何か。goo辞書で調べてみると「[名](スル)ある目的のために力を尽くして励むこと。「―が実る」「たゆまず―する」「―家」」となっているが、その範囲までは書いてないようだった残念。

ともあれ、例え一夜漬けでも目標のために力を尽くせば、それはきっと努力と言っていいと思うし、その場限りであっても力を尽くしたことは認められるべきだとは思うんだけど、なんだかモヤモヤするなぁと。

そう考えると努力の定義って難しいよねぇ。

人は簡単に「本気」は出せない

努力の話題からちょっとだけ寄り道するんだけど、多くの人が一度は「これから本気出すから」って言葉をつぶやいたことがあると思う。

本気とは力を尽くすこと。力を尽くし、目標を達成することを努力と言うのであれば、努力とは本気で何かに取り組むことって考えても概ね間違いは無いと思う。

しかし、これまでの経験上、本気って出せたこと何回ある?

僕も人生の中で多分数回は本気を出したと自負できることはあるんだけど、それでも指の数で足りる程度だと思う。
33年の人生の中、本当に本気を出し、目標を達成するために努力した回数わずか数回。

本気出すって実は無茶苦茶にハードル高いし、毎回意図して出せるものでもないなって言うのは実感としてあって、そう考えると定型文のような努力ってそんなにしたことないんじゃないかってなってしまう。

努力も大事だけど、もっと大事なものはあると思う

ここからが本題なんだけど、努力するって思いのほか難しくて、数日間目標達成のために頑張れることは頑張る程度のことは出来ると思うけど、人生に大きく影響するレベルでの目標を掲げて邁進できるかと言われると結構疑問。

夜の野望が朝になって萎んでるなんてのは(エロくない意味で)日常茶飯事で、昨日の意気込みはどこへやら。
朝になればバッチリ熱は冷めきって気がつけばネットサーフィンなんぞしてることの方が圧倒的にヴィクトリーだ。

もっと突っ込めば、努力は基本的に報われないことを知ってしまっていて、報われるか分からないものに対して毎日頑張れるのかとなると、そこまで頑張れる気質ではない模様。

それでも自負できることはあって、その一つが文章力はともかくとしても、この十数年、とにかく大量の文章を書き続けてきたこともあって、割と色んな分野の文章が書けるとか、文章作成において苦痛となる要素があんまりないって言うのは自分ながらありがたいことだと思っている。こうやってブログも書けるしね。

大言が許されるなら、いつかは商業流通で書籍を出してみたいし、出来れば縦書きで10ptくらいのフォントサイズ、書体はリュウミンRで綺麗な写植でお願いします! なんてやってみたいんだけど、そのための努力をしています! なんて口が裂けても言えない。代わりに、これまで書いた文章を記事に置き換えると、一万記事以上は書いてます! 程度ならなんとか言える。

書籍執筆はさておくとしても、お蔭様でこのブログも1日のアクセス数は決して悪くない。更新頻度が激悪なので、そんな多いわけでもないけど、個人的にこれくらい行ければいいなーって言うくらいにはなってきた。

文才があるわけじゃなく、ひたすら書き続けたに過ぎないけど、それでも自分の中で善しとできる結果を導くことが出来たのは満足している。

努力してきたわけじゃないけど、ただただ積み重ねてきた実感はあって、これまでの色んな経験、失敗、成功、嬉しいこと、悲しいこと、思ったことなどを、これまで書き連ねてきた文章の助けの結果として今のこのブログがあるんだよなーとは思う。

積み重ねるって一朝一夕で出来ることではない。でも、その場の勢いや本気、熱意が必要なわけでもない。淡々とでも良い。続けることに楽しみを覚え、続けることに疑問を持ち、いつしかフラットな気持ちで続いて行くと言うのでも、それは立派な積み重ねだと思っているし、よくよく思い返せば、人生なんて積み重ねの連続じゃないかと言う悟りに近い領域にまで踏み込めてしまうのだけれども、それを自分の中で意識できているかどうかで結構視野は変わるんじゃないかなぁと。

報われない悲しみを味わいたくないなら

最初に書いたように、努力ってのは自分の意図する結果として報われることの方が珍しいと思う。

中には思い通りになる事もあると思うけど、大抵は思った通りではない。一応報われた気がするけど、なんだかなぁ…なんてことも多いんじゃないだろうか。

なので、僕はこう思う。

簡単には努力は報われない。しかし、自分が描く何かに対して積み重ねて行く事によって、努力の結果をコントロールできるようになるのではないか。

継続は力なりって言うと陳腐に見えちゃうかもしれないし、継続しただけで報われるほど世の中は甘くない。

大切なのは、積み重ねることで、積み重ねた先に見えるものに対して努力をすること。

常に毎日努力をしなくてもいい。頑張らなくてもいい。でも、諦めるな。そして答えを見つけ、それに向かって本当の努力をすれば良い。

もしかすると、自分は積み重ねの無い空っぽの存在なんてネガティブな事を考える人がいるかもしれない。
でも、恐らくそれは無い。もう一歩踏み込んで思い出してみて欲しい。どんな些細な事でも、趣味でも、遊びでも積み重ねてきたものはきっとあるし、これから積み重ねられるものだってたくさんある。

積み重ねてきたものが悲しいものだと思うのも人の勝手だけど、そうではない側面も見て上げて欲しい。きっと何かに役立てる方法はある。

努力を肯定するには、努力を無駄にしないためのエネルギーがいる。もしも何か描くものがあるのなら、努力だけではないもう一つの要素のことも、もっと考えてみてはどうだろうと思ったりしている今日この頃。

以上を持ちまして、「継続は力なりですよ」を3500文字に盛って書いた記事を終了します。

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